【欧州ドライブ】ボスニア・ヘルツェゴビナ(連邦)

 

久々の欧州ドライブシリーズです🚘

 

アルバニアからスタートし、クロアチアまでアドリア海沿いを真っ直ぐ北上し、

そのままネウム経由でボスニア・ヘルツェゴビナの連邦側へ入国しました。

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ネウムから荒野を走り続けること2時間ほど。モスタールという街に到着。

日も暮れてきたので、ひとまず宿を探してチェックイン。

そして夕飯求めて街を散策することに。

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1時間ほど散策して思ったのは・・・なんだか寂しい街。

人が少なくて寂れているのとは違う、寂しさ。

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ちなみに夕飯はケバブと・・・べちょべちょした何か。(名前は忘れました)

温かい生焼けの生地?に大量のチーズと飲むヨーグルトをかけた感じの料理。

写真だと分かりづらいですが、丼ぶりサイズなので1Kgくらいあります…。

 

お腹もいっぱいになったので、ホテルに戻って就寝。

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翌朝、ホテルの部屋からの景色。

簡単な朝食を済ませ、お昼頃まで歩き回ることに。

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朝から哀愁漂う街。

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銅板工芸品が定番土産のようです👀

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夜暗くて見えなかったこの橋は、スターリモストという街の象徴でした。

 

クロアチア人とムスリム人の”融合”都市であるモスタール。

“融合”とは言っても、街の東西ではっきり住み分けがされており、

1993年には激しい戦闘も起きています。

 

その際にこの橋はクロアチア系カトリック民兵によって一度破壊されており、

今かかっている橋は2004年に再建されたものです。

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開館時間を待ってまで訪れたかったのが、こちらの戦争と虐殺の博物館。

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1995年、東部のスレブレニツァという町では10日間で8,000人ものムスリム男性が

民族浄化を理由に殺害され、その一連の紛争・虐殺に関わったとされる100名以上の

戦犯の顔写真が博物館に展示されています。

この虐殺を指示したとされる一人、カラジッチ氏の写真には無数の引っ掻き傷が残されており、

まだ25年前の話で、自分たちより上の世代は経験しているのだと気付かされます。

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全て自分たちが生まれてからの出来事。

最近のことだからこそ、映像資料やカラーの資料が残されており、

生々しい展示内容には誰もが目を覆いたくなると思います。

 

博物館を出てからも、周りの建物にある弾痕が目に入ります。

街全体に漂う哀しい雰囲気は、この歴史的背景から来るものなのかもしれません。

 

そのまま街を歩いていると、今度は日の丸と”From the People of Japan”の

文字が書かれたバスを見つけました。

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調べたところ、2000年にJICAがバス40台分の調達資金を提供しているそうです。

民族の再融和を実現するための支援。

各国の支援を受けながら、ボスニア・ヘルツェゴビナも前に進もうとしています。

JICAの事後評価がとても分かりやすかったので、興味がある方はぜひ!

https://www.jica.go.jp/activities/evaluation/tech_ga/general/2002/pdf/02/02_10_1.pdf

 

そうこうしているうちにチェックアウトの時間になったので、モスタールを出発。

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東へ進み、セルビア系民族が主体のスルプスカ共和国側へと入ります!

 

続きは ボスニアヘルツェゴビナ(スルプスカ共和国)編 ☞

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